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渋沢栄一あれこれ③

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2021/04/30

飛鳥山公園内 渋沢史料館

公私ともに、豪快な人生を過ごした渋沢栄一は、資本家による富の独占を嫌いました。栄一は「国全体を豊かにするためには富は全体で共有するものとして社会に還元するべき」という考えでした。明治維新以降、三井、三菱、住友といった財閥が形成され、今でもそれらの名前がついた会社が沢山ありますが、500社あまりの立ち上げに関わりながらも、渋沢の名がついた会社が殆どないのもそのためです。

 第二次大戦後、アメリカのGHQによる日本の財閥解体で、渋沢財閥も解体される予定でしたが、財務内容を調べたところ大した財産もないのが分かり、解体から除外しようとしたところ、当時の渋沢家当主である渋沢敬三(渋沢栄一の孫)は「それは世間が承知せんだろう」といって、解体に応じたということです。栄一の考えが、DNAとして子孫にも向け継がれていた証といえます。

 渋沢栄一は、まさにドラマの主人公にぴったりの人物ですね。

GHQ最高司令官 マッカーサー元帥